美女とコーヒーの出てくる本を紹介します

bookyaの本の紹介

美女と美味しいコーヒーのある本をご紹介

ゲーム的下心戦略。

今週のお題「ゲーム」。ゲームとは、つまり、勝敗のつく娯楽である。

 昨今、ゲームと名のつくものは総じてエレクトロなパワーを従え、バチンバチンと覇権を巡る機器となった。古来より受け継がれてきた由緒正しい卓上ゲエムは姿を消しつつあるのだ。

 トランプの端は寄れ、時代のシミを刻む。囲碁はルールすら知らない。花札に至っては、おそらく花札を興じれるモノは、和服の似合う大和美女に違いないと、ニマニマした妄想を掻き立ててくれる代物でしかない。大和美女とお近づきになり、あまつさえ手取り足取り、花札のアレコレを教えてくれるのなら、今すぐにでも興じてみたい。しかして諸君。世の中は甘くない。花札を持ち美女探索の旅に出るよりも、今はオンラインとやらの方が、よほど女子と触れ合える機会が多かった。そもそも、私には美女を前に平静を保ち、本来の聡明で端正な自身を見せてあげる度量など無い。私の胸中には、人には見せられない、淡いピンクと異臭を放つムラサキのモヤモヤが渦巻いており、どうして、コレを美女に見せられようか。見透かされでもすれば、前屈みに逃げ出すほかない。

 話が脱線したが、本筋はゲームのなんたるか、についてである。今も昔もゲームの本質は変わらず。要は勝敗がつく娯楽なのである。諸君、忘れてはいけない。いくら愛らしい動物がヨチヨチと集まろうが、そして、それが想像力を掻き立てる平和な島だろうが、そこに複数の存在があれば、そこには確かな優劣が生まれてしまうのだ。

 私は優劣が苦手である。男に負ければハラワタがグツグツと煮えてしまうし、美女に負ければ下心にポゥと火がつく。どうも、この火加減が難しい。願うことならば男はオンラインで、麗しの乙女たちとは手取り足取りゲームしたいものである。いや、この際オンラインはいらぬ。